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大阪高等裁判所 昭和27年(う)1284号 判決 1957年3月30日

被告人 秋山静一 外二名

検察官 藤原正雄 畠中二郎

主文

被告人工藤忠雄及び検察官の本件各控訴はいずれもこれを棄却する。

原判決中被告人秋山静一、同田端正純に関する部分を破棄する。

被告人秋山静一を禁錮二年及び罰金五百円

被告人田端正純を禁錮一年

に処する。

被告人秋山静一、同田端正純に対し本裁判確定の日から三年間右禁錮刑の執行を猶予する。

被告人秋山静一が右罰金を完納することができないときは二日間同被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中当審証人浜野規矩雄に支給した分は被告人工藤忠雄の単独負担とし原審において生じたもののうち鑑定人山川強四郎に支給した部分を除きその他は被告人秋山静一同田端正純が相被告人工藤忠雄とこれを連帯負担すべきものとし、当審において生じたもののうち証人小川朝吉に支給した分は被告人秋山静一、同田端正純の連帯負担、証人作山元治に支給した分は被告人秋山静一の単独負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は記録に編綴してある被告人秋山静一の弁護人三木今二、同佐伯千仭、同亀井譲太郎共同提出の控訴趣意書被告人工藤忠雄の弁護人山上孫次郎提出の控訴趣意書、被告人田端正純の弁護人、大野熊雄、同辻中一二三共同提出の控訴趣意書京都地方検察庁検事正代理検事岡正毅提出の控訴趣意書に各記載するとおりであり、被告人山口吉人の答弁は同じく記録に編綴してある同被告人の弁護人山本悦治、同黒正太助提出の各答弁書に記載するとおりであるからいずれもこれを引用する。

右被告人秋山静一の各弁護人の論旨第一点について

財団法人大阪日赤医薬学研究会が昭和二十二年四月十日被告人秋山静一を主任技術者としてジフテリア予防液明ばんトキソイド製造の許可を受けたことは原判決引用の大阪日赤医薬学研究会寄附行為の写、厚生大臣の医薬品製造許可証の写、大阪日赤医薬学研究所における生物学的製剤の製造許可についての書面に徴し明らかである。そしてこの主任技術者なる者の職務範囲を審究するに長友浪男に対する司法警察官の聴取書、被告人秋山静一の顛末書、被告人工藤忠雄の検事に対する第一回供述調書、被告人田端正純に対する司法警察官の昭和二十三年十二月九日付聴取書を綜合すれば右トキソイドの製造は一般民間業者においても製造が許可されることになつたのであるがその製造については主任技術者となる者を定め所轄地方長官宛に製造許可申請をすると地方長官は主任技術者たる者の識見技術と製造施設の良否を調査考慮して適当と認める場合副申書を添えて厚生省に伝達し厚生省において更に審議を経た上適当と認められるものに許可されるのであり、秋山静一もこの順序を踏んで前示の如き主任技術者たる地位に就いたことが認められる。さればトキソイド製造許可に関しては主任技術者の識見技術能力が重要な要件たること疑なく、この主任技術者により親しくトキソイドの製造がなされるか或は主任技術者自ら製造の実務に当らない場合は自己の責任において事実上製造の実務に当る者をして過誤なく完全無欠なトキソイドを製造せしめるようこれを指導監督すべきことを予期し許可がなされるものと解すべく一旦主任技術者たるの地位に就いた以上は右の職責あるものとみるのが条理に適合した見解としなければならない。のみならず事の実際についてみても被告人秋山静一は大阪日赤医薬学研究会が昭和二十一年九月創設以来理事長として同研究会の一切の業務を総括し同研究会において製造する製剤につきすべてその製造実務担当者を指導監督する実状慣例にあつたことが前示証拠により窺えるところであり、ひとり本件トキソイドの製造の場合だけにかぎり然らずとなすいわれは記録上到底認め難いのである。ところで業務上過失致死傷害罪における業務とは人の社会生活上の地位に基き継続して行う事務を指称しそれが法規に基く職務たるとその地位から条理上当然行うべきものとみられるもの或はその他契約慣例に基くものたるを問わないのであつて、被告人秋山静一が叙上主任技術者の地位に就いた以上は業務上過失致死傷害罪にいわゆる業務に携わつたものとしなければならない。論旨においては生物学的製剤製造規則細菌製剤製造機関基準中において定めるところを援用し主剤技術者は製造機関の管理者的地位にあるに過ぎず別に製造担当者を設置して専らその製造に当らしめればその製造につき何等顧慮する責務はないように主張する。なるほど所論の規則、基準に徴すれば主任技術者の責任としては「製造機関の責任者として建物施設敷地及び従業者を厳重に監督し所内の秩序を整然と保持することを要する」義務があり、その監督の一端として「製造記録を責任を以て保管する」ことが特に要求せられている。然らば主任技術者は製造について管理者として製造所の物的設備及び人的設備を完全にすることによつて製造の完全を期しなければならないことは当然である。しかしながら主任技術者の責務はそれだけに止まるものでなく、叙上の如くこの地位が認められたところより由来する条理に基く職務或は慣例に基く職務として自ら親しく製剤の製造に従事するか将又他人をしてその製造に従事せしめる場合にはその製造につきこれが実務を担当する者をば指導監督するの責務をも併せ有するものと解しなければならないのである。次に主任技術者たる被告人秋山が製造実務を分担した被告人工藤等を製造につき指導監督すべき責務の範囲についてはその製造された製剤に基因し致死傷害等の事故が起らぬよう、これ等の実務担当者をして完全な製剤を製造せしめるため、その製造過程は勿論あらゆる関係事項に亘るものと解すべきであることは自明の理であり、被告人秋山が大阪日赤医薬学研究会のジフテリア予防液明ばんトキソイド製造につき主任技術者としての地位に就いたことが原判決挙示の証拠によつて認められるかぎりは更に原判決が右責務の範囲の詳細につき証拠を掲げなくてもそのことを以て証拠不備の違法あるものとなすことはできない。所論を検討し記録を精査してみても原判決が被告人秋山静一の就任した主任技術者の意義及び職責について証拠を離れ独断を敢てしたとは認め難いのであつて論旨は理由がない。

同第二点について

所論は被告人秋山静一が原判示第一の六の事実において認定する如き工藤忠雄のおかした過失及び田端正純のおかした過失を知つていた事実を断定することはできない旨主張する。しかし原判決の引用する被告人工藤忠雄の原審公判廷における供述、証人関根彦吉の証言その他B証拠の部五に掲げる証拠を綜合すれば被告人秋山静一はその病臥欠勤する以前(昭和二十二年十一月一日以前)には大阪日赤医薬学研究会において工藤忠雄がジフテリア予防液明ばんトキソイド製造の実務に携つておる現場にも臨み、原判示単一容器に集注する操作を省略して各コルベン毎に二〇cc入小壜に分注し又四個のコルベンの中一個のコルベンの製剤についてのみ自家無毒試験を行う同人の製造方法は、これを見聞して知つていたのであり、延いて今回事故の原因となつた本件製剤も亦同様方法により製造せられ、次いで田端正純により同製剤が従来通り一製造番号として予防衛生研究所に検定の出願がなされるものであることを認識知悉していたものと認めるのを相当とする。従つて又所論の被告人工藤忠雄が(一)四個のコルベンを以て製造している原液は単一容器にこれを集注する操作を行はなくとも全部均質であると速断したこと、(二)便法の趣旨について理解を欠き原液の過程において単一容器に集注した稀釈液でないのにこれを単一容器に集注する操作を省略しても支障がないと誤解したことをいずれも被告人秋山静一において知つていたと認めるの結論に達せざるを得ないのである。原判決の掲げる証拠を以てしては右の点を認め難いとする所論は畢竟原審のなした適法な証拠の取捨判断を非難するに過ぎないことに帰し所論に鑑み記録を精査してみても原判決には証拠によらずして事実を認定し或は理由にくいちがいがある等の違法は存在しないから論旨は理由がない。

同第三点について

原判決は被告人秋山静一に関する業務上過失に該当する事実として原判示第一の六において「被告人秋山静一は主任技術者として被告人工藤忠雄及び同田端正純を指導監督し同被告人等に実務を分担させて明ばんトキソイドの製造を開始したが既に昭和二十二年八月頃から健康を害し同年十一月一日左湿性胸膜炎の診断を受けたのでその後私宅で病臥静養中被告人田端正純の連絡により指導監督を続けていた。然るに被告人秋山静一は被告人工藤忠雄が各製造番号について二〇立を単位とし、五立入コルベン四個を使用して製造する際に生物学的製剤製造上の実験則や便法の趣旨について指導することを怠り病臥前被告人工藤忠雄が同年十月二十六日及び二十九日にそれぞれ製造番号第一号及び第二号について四個のコルベンの製剤を単一容器に集注する操作を行はずに各コルベン毎に二〇cc入小壜に分注した事実及び四個のコルベン中一個のコルベンの製剤についてのみ自家無毒試験を行つていた事実を知つていたので、その後も同様の方法を以て製造することを予知し、又現実に同様の方法を以て製造したことを知りながら、その点について指導監督することを怠つてその過誤を看過し、又被告人田端正純が各製造番号の製剤について予防衛生研究所に検定を出願する際四個のコルベンの製剤をそれぞれ別個の製造番号として国家検定を出願せねばならないことについて指導監督することを怠り同被告人が製造番号第八号の四個のコルベンの製剤二〇cc入千本についても同年十二月一日、一製造番号として同研究所に検定を出願した過誤を看過した為最少致死量の五分の一乃至一のジフテリア毒素を含有していた不完全な製剤が約五百本含まれていたのに拘らず検定番号一、〇一三号を以て合格したので同番号の製剤九百九十二本を凡て均質な合格品として販売させた」と認定したのであつて畢竟被告人秋山静一の過失は本件ジフテリア予防液明ばんトキソイド製造に関し生物学的製剤製造上の実験則や便法の趣旨につき指導監督することを怠つたこと、又右予防液の検定を出願するに際し四個のコルベンの製剤をそれぞれ別個の製造番号として検定を出願せねばならないことについて指導監督することを怠つたことを前提とするのである。そもそもジフテリア予防液の如き生物学的製剤にあつては無毒均質であるべきことが第一要件であることは当然であり、この点につき絶大な注意が払われねばならぬ。そして沼田岳二の鑑定書同人に対する原裁判所の証人尋問調書、田沼猛雄の鑑定報告書、小川朝吉に対する司法警察官の聴取書、同人の原審公判廷における証言、田村政太郎に対する司法警察官の聴取書隆文雄に対する司法警察官の聴取書原審証人谷口腆二、同小島三郎の各証言、被告人秋山静一の原審公判廷における供述同被告人に対する司法警察官の聴取書及び同被告人の検事に対する供述調書、被告人山口吉人の原審公廷における供述等の原判決挙示の証拠を綜合すればジフテリア予防液明ばんトキソイド製造に際し同一人が同時に同一菌種から産生した毒素を数個の容器に分割注入し同様の操作を行つても物理化学的に同一の操作を加えることは至難な事柄であり、各容器の製剤が均質を欠く場合があり得るから数個の容器を使用して製造した同一製造番号の製剤の均質を確保するためには小分容器に分注する前に全製剤を単一容器に集注する操作が絶対に必要であつてこのことは生物学的製剤製造上の実験則であり、同一製造番号を与えられるためにも亦右単一容器に集注する操作を経たものでなければならない。そしてこの集注操作に関しては昭和二十二年七月頃連合国最高司令部係員ハムリン博士の示唆により一製造番号の製剤は稀釈液の過程において単一容器に集注し、これを小分容器に分注した後いわゆる抜取検定の方式により細菌製剤監視員が試験品を抜取つて検定に供する制度に変更せられたところ、一製造番号の稀釈液全部が単一容器に集注するため、にわかに大型容器を使用することについては種々困難な事情が伴つたので原液の過程において単一容器に集注し、これを稀釈して数個の容器に分割した場合には更にその稀釈液を単一容器に集注する操作を行はなくとも同一分注器を通じて連続して小分容器に分注しさえすればこれを一製造番号として取扱い抜取検定を行う便法が認められるに至つたのである。以上いずれにしても製剤の無毒均質化のため、同一製造番号が与えられるためには稀釈液を小分容器に分注する直前か又は原液の過程において単一容器に集注されることが必須の要件であり被告人秋山静一も亦この法則を熟知していたものである事実が認められる。而して苟くも被告人秋山静一が主任技術者である以上同一製造番号の右製剤を製造する過程中における重要な操作である集注が行われたかどうかについては最大の関心を用い周到な注意を払つてその製造実務担当者を指導監督し又国家検定を出願するに際し同一製造番号となし得るや否やにつき当務者を指導監督しなければならぬ義務あることは勿論である。然るに原判決が挙示するB証拠の部、五に掲げる証拠を綜合すると製造実務を担当した工藤忠雄は前記生物学的製剤製造上の実験則を無視して数個の容器を使用し同時に同様の過程を経て製造した製剤は単一容器に集注する操作を行はなくても全部均質であると速断し且つ前示便法の趣旨について理解を欠き原液の過程において単一容器に集注した稀釈液でないのにこれを単一容器に集注する操作を省略しても支障がないと誤信し五立入コルベン四個の製剤を単一容器に集注する操作を怠り各コルベン毎に二〇cc入小壜に分注したため、本件ジフテリア予防液明ばんトキソイドの全製剤は均質性を欠き、フオルマリンの注入量の不足その他無毒化操作不十分のため四個のコルベン中二個のコルベンの製剤二〇cc入五百本は無毒化が完全であつたが他の二個のコルベンの製剤二〇cc入五百本は最少致死量の五分の一乃至一のジフテリア毒素を含有するに至らしめ、又国家検定を出願する事務を管掌した被告人田端正純は右工藤の製造した製造番号八号の四個のコルベンの製剤二〇cc入千本につき各別の製造番号のものとして検定に出願すべきであつたのにこれを一製造番号を以て出願するに至つたのであるがこれ等の過誤は被告人秋山静一が右工藤、田端等に対し右の実験則或は便法の趣旨に関し何等の指示注意を与えることなく同人等に一任し、そのなすがままに任したことにも一の原因が存するものと認めざるを得ないのである。このように本件トキソイド製造過程中における重要な事項について何等の指示注意をしなかつたことは被告人秋山静一に叙上注意義務の懈怠があつたものと断ずべきである。論旨においては右単一容器に集注する操作の必要なことは生物学的製剤製造者の常識以上の常識に属する事柄であつて、製造担当者である工藤忠雄及び田端正純はその学識経験により充分このことを了知していたのであるから主任技術者たる被告人秋山静一が同人等に製剤並びに出願を一任することは許されている旨主張する。なるほど工藤、田端等は論旨の主張するような学識経験によつて単一容器に集注する操作の必要性はこれを熟知していたことが窺われるのであるがそれにも拘らず数個の容器を使用し同時に同様の過程を経て製造した製剤は単一容器に集注する操作を行わなくても全部均質であると過つて速断したのであつて、この場合同人等を指導監督する義務ある被告人秋山静一において一片の注意を与えたらんには同人達がこれに従い集注操作をなし、又全製剤を一製造番号として検定を出願しなかつたであろうと推察し得られる状況にあつたことが前示証拠上認め得られる。然るに被告人秋山はこの点につき何等の指示注意をも与えなかつたのである。右集注操作の如きはジフテリア予防液明ばんトキソイドの製造過程中における重要な事項であるからたとえその製造担当者等が充分の智識経験を保有する者であり常識以上の常識に属する事柄であるとしても主任技術者たる者は製造における最高責任者である関係上自らこれが確実に行われたことを確認しなければならない責務があるのであつて、それが原液の過程において行われたか或は稀釈液の過程において行われたかは勿論その集注操作の行われたこと自体すら確認することなくして製造担当者に一任したまま省みないのは被告人秋山静一に注意義務を怠つた過失あるものとなすべきこと、社会通念に照しても亦不当とはいえないのである。このことは原審証人小島三郎が公判廷において無毒性と抗原性を左右するような操作は主任技術者自身でするか、製造担当者等に任してこれを指導監督するかいずれかの方法によらねばならぬ重要な事柄であつて、主任技術者は最終の製品が有効で無毒であることに注意しておるならば個々の製造過程を一任してもよいが製品が有効で抗原性が強く、無毒であることに注意して監督しなければならぬ旨証言するところによつても明らかである。次に又論旨においては製造担当者である工藤忠雄等がかかる集注操作なる常識的原則を無視して独断的に無暴ともいうべき手抜をすることを被告人秋山静一において予知しこれに気付くことが不可能であつた旨主張する。しかし製剤製造過程において、その専門家と雖も往々重大な過誤を犯す事例はみられるのであり本件においても主任技術者たる秋山は万一にもかかる事態が生ずるかも知れぬとの予想はこれを抱くべきであり且つこれを予想し得べき状況にあつたものといわなければならぬ、即ち原判決が認定するように被告人秋山はその病臥前(昭和二十二年十一月一日前)における製造について工藤が二〇立を単位とし五立入コルベン四個を使用して製造する際前記生物学的製剤製造上の実験則や便法の趣旨に反して四個のコルベンの製剤を単一容器に集注する操作を行わずに各コルベン毎に二〇cc入小壜に分注した事実及び四個のコルベン中一個のコルベンの製剤についてのみ自家無毒試験を行つていた事実を知つていたものであることは原判決挙示のB証拠の部、五の証拠を綜合してこれを認め得るものと解するを相当とすること前論旨に関し説明したとおりであり、その後も同様の過程を経て製造がなされる虞あることは被告人秋山において当然予想されるべき事情にあつたことが窺われるからである。仮りに被告人秋山が工藤等において集注操作をしていないことを現認しなかつたから知らなかつたとしても工藤が四個のコルベンの製品を各コルベン毎に小壜に分注している現場は被告人秋山においてこれを現認しておることが原審証人関根彦吉の公判廷における証言に徴し疑を容れないからこの場合主任技術者たる被告人秋山は集注操作が何時行われたかどうかにつき充分関心を寄せるべきであり或はその操作がなされなかつた虞あるやも知れないことを予想し工藤等に問い質すとか説明を求める等の適宜な指導監督に出るべきであつたのである。(被告人秋山が病臥中と雖も後記の如くその間屡々田端正純が事務連絡のため被告人秋山の許を訪れていたことが記録上認められるが故に同人の病臥欠勤の故を以て以上の指導監督をなし得ない状態にあつたものとみることはできない。)然るに被告人秋山は何等の措置を採ることなく放置し工藤等に対し製造を一任して省みなかつたため、その後製造せられた製造番号第八号の本件製品も前示集注操作を経ずして製造せられ一製造番号を以て検定を出願せられるに至つたのであり、このような結果に立至ることは被告人秋山において当然予想し得べきところであつたものと認むべきである。更に原審証人堅田[糸安]、同灰方太三郎の各証言によると二〇立入大壜が大阪日赤医薬学研究会に購入せられていたことは認められるがそれが使用せられたことのないことを被告人秋山において知つていたものと記録上窺えるから前示四個のコルベン使用の事実と考え合わせ何故に右大壜を使用しないのか一応被告人秋山から工藤等に問い質すべきであり、稀釈液の過程において集注操作が行われないならば原液の過程において、その操作が行われたかどうかにも一応の疑念を挟んでこの点を確認するのを相当とすべく延いて原液の過程においてもこの操作がなさなかつた万一の場合を予想すべきであつたと考えられ、以上のことは被告人秋山が集注操作手抜を予知しこれに気付くことが不可能に属するものでなかつたことの一徴表たり得るものである。工藤、田端等の智識経験の豊富であつたこと、集注操作の経験則が生物学的製剤製造家の常識となつておること、工藤、田端等が大阪日赤医薬学研究会において腸チブス、バラチブス混合ワクチンを製造した経験があり、或は又小規模のジフテリア予防液の試作の経験があつたこと等を考慮に容れても、叙上の如き情況に照し右製造番号八号の本件製品の製造、検定出願に関し、被告人秋山の予想し得ない偶然の事実について同人に責任を負わしめるに帰するものとはなし得ないのである。又被告人秋山静一は、昭和二十二年十一月二日以来自宅に病臥し右八号製品の製造当時には欠勤中であつたことは記録に徴し明白であるけれども被告人秋山と諸事務連絡のため田端正純が屡々秋山方を訪れているに拘らず被告人秋山は集注操作及び検定出願方法に関し何等の話もせず指示注意を与えた形跡が存しないのであり、全く工藤、田端のなすままに一任していたものと認められるのであつて、被告人秋山が病気欠勤したからとて同人の指導監督が不可能であつたとみることはできない。

以上のとおりであり縷々の所論全般を検討し記録を精査してみても挙示の証拠により被告人秋山静一に対し業務上過失の存在を認定した原判決は相当というべく何等所論のような事実誤認の違法はないものと認められるから論旨は理由がない。

同第四点について

所論は本件明ばんトキソイドの注射と患者の死亡との間の因果関係は充分証明せられておらず未だ単なる嫌疑の程度を出ないのでありこの点原判決には事実誤認がある旨主張する。しかし所論因果関係の如きは解剖等の自然科学的究明方法によつて寸分の疑なきまでに解明せられなくても関係証拠により条理上その因果の関係が真実存在するとの高度の蓋然性があり而も論理的疑問をさし挟む余地のない迄の心証を形成し得る場合にはこれが証明充分と断じなければならないのである。原判決は本件明ばんトキソイドの注射の結果玉木正子外六十五名をしてジフテリア毒素の中毒による腎炎、カタル性肺炎、嚥下麻痺、呼吸麻痺、心臓麻痺、呼吸及び嚥下麻痺、呼吸及び心臓麻痺、心臓衰弱の為はかなく死に至らせたというのであつて関係証拠(原判決B証拠の部、六の2、3に掲げる証拠)を綜合すれば本件明ばんトキソイドの注射を受けた原判示玉木正子外六十五名がジフテリア毒素の中毒によりそれが一つの原因となつて原判示の如き疾病を起し、ために死亡の結果に至つたという事実の存在につき条理に照し論理的疑問の余地がない迄の高度の蓋然性が認められるが故にその証明は充分というべきである。論旨においては死亡者<1>立岡タミ子<2>岡村敏幸<3>藤林彰<4>菅谷卓代<5>山田俊一<6>安本進<7>田島則子<8>宮下栄作に関する解剖鑑定書ある分についてもこれ等の鑑定書ではジフテリア中毒による疾病が原因となつたことは断定できないのであつて、本件トキソイドの注射以外の他の原因によつて死亡したものではないかということが考えられなければならないようにいうが、しかし本件トキソイド注射に関係しない他の原因で、疾病が同人等に発生した為死亡したと考えられる証拠は記録上到底これを発見し難く、本件トキソイドの注射により原判示の如き疾病に罹りそれが同人等の死亡原因或は死因の一つの要件となつたものとみられるのである。次に又論旨においては臨床上のカルテによる死因の断定についてそのカルテだけから無造作に死因の判定がつくものでなく、鑑定人山川強四郎の鑑定の如きも強いて原因を忖度して述べよといわれるならば、こうもいえようかという程度の推測憶断に過ぎぬように論難するけれども記録に徴し到底そのようには解し得ないのであつて原判決のなした証拠判断は正当と認められその適法な証拠の取捨判断を攻撃するに過ぎないことに帰する所論は到底採用することができないのである。

要するに所論に鑑み記録を精査してみても原判決には論旨に主張する如き違法は存在しないから論旨は理由がない。

被告人工藤忠雄の弁護人山上孫次郎の論旨第一点について

原判決の認定によれば被告人工藤忠雄に関する本件業務上過失の事実は「同被告人は東京高等獣医学校を卒業した後各種予防薬の製造研究に従事し、大阪日赤医薬学研究会創設と同時に同研究会に雇われ各種生物学的製剤の実務を担当していたが原判示製造番号八号を以てジフテリア予防液明ばんトキソイドを製造した際その製造実務担当者として業務上の注意を怠り原判示生物学的製剤製造上の実験則を無視して数個の容器を使用し同時に同様の過程を経て製造した製剤は単一容器に集注する操作を行わなくても全部均質であると速断し且つ腸チブス、パラチプス混合ワクチンを製造した場合の便法の趣旨について理解を欠き原液の過程において単一容器に集注した稀釈液でないのにこれを単一容器に集注する操作を省略しても支障がないと誤信し五立入コルベン四個の製剤を単一容器に集注する操作を怠り各コルベン毎に二〇cc入小壜に分注した為、全製剤は均質を欠いた」というのであつて、右事実は原判決挙示の関係証拠(原判決B証拠の部、五に掲げる証拠)を綜合すれば充分これを肯認することができる。即ち原判決も説示する如く生物学的製剤の製造については同一人が同時に同一菌種から産生した毒素を数個の容器に分割注入し同様の操作を行つても物理化学的に同一の操作を加えることは至難であつて、原材料の僅少な質量温度の相違、容器の消毒情況等の相違により各容器の製剤が均質を欠く場合があり得るから数個の容器を使用して製造した同一製造番号の製剤の均質を確保する為には小分容器に分注する直前に全製剤を単一容器に集注する操作が絶対に必要であつてこのことは生物学的製剤製造上の実験則であるところ、一製造番号の稀釈液全部を単一容器に集注するがため、大型容器を使用することについては種々困難な事情が伴つたので原液の過程において単一容器に集注した上これを稀釈して数個の容器に分割するならば更にその稀釈液を単一容器に集注する操作を行わなくても同一分注器を通じて連続して小分容器に分注しさえすればこれを一製造番号として取扱う便法が認められたのであるが被告人工藤忠雄は右分注直前における集注又は原液の過程における集注のいずれをも行わなかつたことに過失があるものと判定したのであり、この原判決の判定には誤がない。論旨(第一の(二)の(ホ))においてはジフテリア予防液製造の場合原液と稀釈液の段階が存せず、原液の際にこれを単一容器に集注し後に数個の容器に分注して稀釈するということはないようにいうけれども記録上そのように解することはできず又当時大阪日赤医薬学研究会には五立入コルベン四個の液を一個の容器に集注するだけの大きな容器がなかつたというが同研究会に二〇立入大壜が購入されていた事実は前記被告人秋山静一の弁護人の論旨第三点に対する判断中において説示したところであり、仮りにたとえ所論の容器がなかつたとしてもそれだけで前示集注操作を行わなくても過失でないとする理拠は到底見出し得ないのである。なお論旨(第一の(二)の(イ)乃至(ニ))は当時モルモツトの入手困難であつたことを事由とし又厚生省予防衛生研究所における検定措置に過失の責任があつたことを事由として被告人工藤忠雄の過失を否定せんとするようであるが当時モルモツト入手困難の状況があつたにせよ被告人工藤が前示集注を行わなかつたことの過失を否定し得べきでなく又当審証人浜野規矩雄を取調べた結果に徴するも厚生省予防衛生研究所における検定措置に過失があつたものとは認め難く仮りに所論の如く同研究所において国家検定のため提出された八本の製品中六本についてのみ無毒試験をなした結果残り二本中に毒素を含有することを看過し検定番号一〇一三号製品を全部無毒であるとして合格せしめた点について過失の責があるとしてもそれは被告人工藤の叙上過失と競合したに過ぎないのであつてそれあるがために同被告人の右過失をば払拭し去ることはできない。次に論旨(第一の(三))は原判決はフオルマリンの注入量の不足が四個のコルベン中二個のコルベンの製剤二〇cc入五百本に最少致死量の五分の一乃至一のジフテリア毒素を含有するに至つた一原因となつた旨認定したが被告人工藤の注入したフオルマリンの量は大体普通量であつて決して不足しているとはいえない旨主張する。よつて案ずるに原判決の認定する「全製剤は均質性を欠き、フオルマリンの注入量の不足その他無毒化操作不十分の為四個のコルベン中二個のコルベンの製剤二〇cc入五百本は無毒化が完全であつたが他の二個のコルベンの製剤二〇cc入五百本は最少致死量の五分の一乃至一のジフテリア毒素を含有していた」事実は前顕関係証拠に照し明白であるところ、原判決はこのように全製剤につき均質性を欠いたのは被告人工藤忠雄が叙上の集注操作を行わなかつたことに起因するのを過失としたことその判文上よりみて明らかであつて、右均質性を欠き毒素を含有したものを生じたことが動かせない事実である以上その毒素が残存するに至つた所以がフオルマリンの注入量の不足にあつたか或はその他の無毒操作不充分のためであつたのか(原判決においてはフオルマリンの注入量の不足のみにかぎらず、その他無毒操作不十分の為の事由をも掲げていること上記のとおりである。)を問わず被告人工藤忠雄の右集注操作を怠つたことの過失は成立するものと解しなければならない。従つてたとえ同被告人の注入したフオルマリンの量が所論の如く普通量で不足していなかつたものとしても同人の右過失の責任はこれを否定し得ないのであり、仮りに原判決の認定する所論フオルマリンの注入量不足が事実誤認であつてもそれは未だ判決に影響を及ぼすべき違法ではない。次に又論旨(第一の(四))は被告人工藤忠雄は大阪日赤医薬学研究会において機械的労務に服するに過ぎない極めて地位の低い立場にある者でかかる同人には過失の責任がない旨主張するが原判決のB証拠の部一、五、に掲げる証拠によれば被告人工藤忠雄は大阪日赤医薬学研究会において各種の生物学的製剤製造の実務を担当し本件ジフテリア予防液の製造に当つても製造実務担当者として製造の実際面においては中心となり、自己の責任下にこれが製造をなしたものであることが認められ、所論の如く単なる機械的労務に服するに過ぎないものであつたとは到底認め得ない。されば同被告人に本件過失の責任を認めた原判決は正当であり、何等誤はない。

これを要するに縷々の所論に鑑み記録を精査しても原判決には所論の事実誤認は存在しないから論旨は理由がない。

被告人田端正純の弁護人大野熊雄同辻中一二三の論旨中原判決の事実誤認並びに理由不備を主張する点について

先ず論旨(第一の一)は本件幼児の死亡の原因がジフテリア毒素に因ると認定するには証拠が不充分であり原判決のこの点の事実認定は独断に失する旨主張するけれども原判示の者等がジフテリア毒素の中毒による判示疾病のため死亡したものであることは関係証拠(原判決B証拠の部六の2、3に掲げる証拠)を綜合し充分これを証明し得べく記録に徴するもこの点に関し原判決に事実誤認の違法あるものとはなし難い。又論旨(第一の二)は原判決は死亡者の体質の特異性を看過しておるという。なるほど本件死亡者中には胸線淋巴体質等の異常体質者のあつたことは記録上窺い得るところであるけれどもそれがために、その死亡の結果に対しジフテリア毒素の中毒が一原因となつたことを否定することはできないのであつて、同中毒により死亡の結果を発生したとする因果関係を認定するも何等違法あるものではない。次に論旨(第一の三)は本件製剤中に致死傷の原因たるジフテリア毒素を含有していたとしてもその市販を防ぐために国家の検定を受けることになつており、その検定が不完全であつたため、本件の如き死傷の結果を発生したのであるから右結果は被告人田端正純の過失でなく国家検定における過失のためというべく、同被告人の過失は国家検定の過失により因果関係が中断されている旨主張する。しかし原判示被告人田端正純に関する過失は四個のコルベンのものを単一容器に集中することなくして製造せられた製剤であるからそれぞれ別個の製造番号であるべきを一製造番号として検定を出願したことにあるのであつてそれがため国家検定の際ジフテリア毒素を含有していた不完全な製剤を事前に発見し得なかつたものと記録上認められ、国家検定の際における過失の如きは未だこれを肯認し得ないところであるが、(この点については先きに被告人工藤忠雄の弁護人の論旨第一点(第一の(二)の(イ)乃至(ニ))に関し示した説明を参照のこと)仮りにその過失も亦存するとの前提に立つてみても被告人田端の過失はなお国家検定における過失と共に本件死傷の結果に対する原因たるものと解せられ、いわゆる過失の競合の場合に該当し依然被告人田端はその過失に関し法的責任を負うべきは当然であり、因果関係中断の論議は採用し得ない。而してかかる不完全な製剤が国家検定を経て市販されるならば本件死傷の結果の発生は当然これを予見し得べき可能の範囲にあつたに拘ちず被告人田端が原判示注意義務を怠つたためこれを予見しなかつたものというべきである。次に所論は被告人田端正純は相被告人工藤忠雄が四個のコルベン全部に亘つて自家無毒試験を行つていなかつた事実を知らなかつた旨(論旨第二の一)又四個のコルベンを使用して製造した製剤二cc入千本を一製造番号として検定を出願した事実は被告人田端正純において関知しないところである旨(同第二の二)更に国家検定の合格品を販売するのは過失でなく、なおその販売には被告人田端正純は全然与り知らぬ旨(同第二の四)各主張する。しかし原判決挙示の関係証拠(原判決B証拠の部、五に掲げる証拠)を綜合すれば原判示の如く被告人田端正純は大阪日赤医薬学研究会庶務係として監督官庁に対する文書の提出製剤製造の企劃及び製剤の検定出願販売等の事務を担当していたものであるが相被告人工藤忠雄が本件ジフテリア予防液を製造するについても相談を受け、四個のコルベンの製剤を単一容器に集注する操作を行わずに各コルベン毎に小分容器に分注した事実及び四個のコルベン中一個のコルベンの製剤についてのみ自家無毒試験を行つて合格した事実を知つていたこと並びに原判示出願販売に関与したことが証明し得るものと認められ且つ販売された本件製剤が国家検定の合格品であつたとしても被告人田端の過失の成立を否定し得ないことは既に説明したとおりであり記録に徴するも右各所論の点につき原判決の認定が誤つておるものとはなし得ないのである。尤も本件製剤が一製造番号として予防衛生研究所に検定を出願された昭和二十二年十二月一日当時には被告人田端は上京不在中であつたことが記録中の資料により窺い知られるのであるが同被告人は前示事務を担当し且つ叙上の如く右製剤の製造過程における事実を知つていた以上同人の責任においてそれが一製造番号として右検定出願のなされることを前から当然予見すべきであつたに拘らず誤解に基くにしろこの点につき何等顧慮するところなく放置したのは、その業務上の注意義務を怠り検定の出願をしたものとして過失の責任を免れないのであつて、上京不在中なる事由によりこれが責任を左右することはできない。なお更に所論は被告人田端正純のなすべき注意義務につき原判決の認定を云為する(論旨第二の三)からこの点につき案ずるに原判決の被告人田端正純に対して認定する犯罪事実は冒頭において同被告人は「大阪高等医学専門学校を卒業した後昭和二十年十月大阪赤十字病院研究科医員となりその後大阪日赤医薬学研究会庶務係を兼務し、監督官庁に対する文書の提出、製剤製造の企劃及び製剤の検定出願販売等の事務を担当し、その傍ら同被告人の指導によりジフテリア菌生産用培地を研究していたのである」と摘示し第一の五において「同被告人は被告人工藤忠雄が製造番号八号を以て五立入コルベン四個を使用して製造した明ばんトキソイド二〇立について国家検定を出願した際、検定出願手続担当者として業務上の注意を怠り被告人工藤忠雄が四個のコルベンの製剤を単一容器に集注する操作を行わずに各コルベン毎に小分容器に分注した事実、及び四個のコルベン中、一個のコルベンの製剤についてのみ自家無毒試験を行つて合格した事実を知つていたので四個のコルベンの製剤はそれぞれ別個の製造番号であつて凡て均質な無毒化の完全な製剤であると速断することができないのに拘らず前記生物学的製剤製造上の実験則を無視し同時に同様の過程を経て製造した製剤は単一容器に集注する操作を行わなくても全部均質であると速断し且つ前記便法の趣旨について理解を欠き原液の過程において単一容器に集注した稀釈液でないのにこれを単一容器に集注する操作を省略しても支障がないと誤解し、四個のコルベンを使用して製造した製剤二〇cc入千本を一製造番号として検定を出願した為最少致死量の五分の一乃至一のジフテリア毒素を含有していた不完全な製剤が約五百本含まれていたのに拘らず検定番号一〇一三号を以て検定に合格したので同番号の製剤九百九十二本を凡て均質な合格品として販売し」と摘示するのであり、この判文の全趣旨から考察すれば被告人田端正純は検定出願手続担当者として一製造番号として検定を出願するには原液の過程において集注されていない四個のコルベンの製剤を単一容器に集注する操作を行い且つそれにつき自家無毒試験を行つて合格したものでなければならないことを注意する義務あるものと認定したことが自ら理解できる。それ故被告人田端に右のような注意義務あることを特に判文に明示するところがなくても違法ありというべきではない。そして本件において検定出願手続担当者たる被告人田端に右の注意義務あることは当然の事柄に属し同被告人は前示四個のコルベンの製剤が単一容器に集中する操作を行わずに各コルベン毎に小分容器に分注された事実及び四個のコルベン中一個のコルベンの製剤についてのみ自家無毒試験を行つて合格したに過ぎない事実を認識していたに拘らず原判示の如き自己の不注意により一製造番号として検定を出願して支障がないと誤解し原判示検定出願をしたことが原判決挙示の関係証拠(B証拠の部、五に掲げる証拠)上明らかであるから同被告人にはその業務上なすべき注意義務の懈怠があつたものとなさざるを得ない。論旨においては原判決が被告人田端正純を製造業務にも関係あつたものとして事実を誤認しているというが原判決の認定したところは同被告人が検定出願担当者として業務上注意義務を怠つた事実を認めたのであつて、同人に対し所論製造業務に関する過失を認定し問責したものでないことは判文上自明である。従つて被告人田端が本件ジフテリア予防液の製造に関与せずして単に秋山静一の病臥中同人の指揮命令を工藤忠雄に伝達連絡する役目に過ぎなかつたものとしてそれが製造につき何等指導監督の責任ないことを根拠に被告人田端正純の過失を否定せんとする論議の如きは当を失し到底採用することはできないのである。

以上のとおりであり要するに縷々の所論を検討考究し、記録を精査してみても原判決には何等所論の事実誤認並びに理由不備等の違法はなく論旨はすべて理由がない。

被告人秋山静一の各弁護人の論旨第五点、被告人工藤忠雄の弁護人の論旨第二点、被告人田端正純の各弁護人の論旨中原判決の量刑不当を主張する点について

各所論は要するにそれぞれ右被告人等に対する原判決の量刑が重きに失し不当である旨主張する。よつて記録を調査するに本件はジフテリア毒素を含有しているジフテリア予防液明ばんトキソイド二〇cc入のもの三百七十六本が京都市衛生部防疫課に配給せられ、京都市が予防接種法により昭和二十三年十一月四日及び五日の両日同市内の小学校二十八箇所において生後六箇月から十二箇月に至る乳児、翌年四月小学校へ入学する幼児、翌年、三月小学校を卒業する児童、及び小学校を卒業するまで未だ予防接種を受けていない者合計一万五千五百六十一名にジフテリア予防接種を行つた際に被接種者の一部に右製剤が皮下注射せられた結果ジフテリア毒素の中毒により原判示の如く志麻邦彦外六百三名に治療日数約一週間乃至四箇月を要する傷害を生じ、その中玉木正子外六十五名をして死亡するに至らせた近来稀にみる悲惨な案件であり、それが被告人秋山、工藤、田端等の業務上過失に基因する以上同人等の刑責は決して軽視できないものがある。しかしながら右各被告人の過失の態様、その程度の軽重等を具さに検討するならばその間自ら径庭の存することが窺われ先ず被告人秋山静一についてみるに同人は大阪日赤医薬学研究会の理事長であつてジフテリア予防液明ばんトキソイド製造に関しては主任技術者の地位にあつたものであるがその製造面の実務は被告人工藤忠雄が担当し殊に製造過程における単一容器に集注し製剤の均質を得せしむる操作の如きは苟くも生物学的製剤の製造に従事する者の常識として熟知しておる筈の事柄であり、被告人秋山がこれについての指導監督を怠つたとしてもその操作を行わなかつた被告人工藤は秋山以上に責めらるべき状況にあるものというべく、この点は反面秋山のため斟酌を必要とするのである。その他被告人秋山は本件事故の原因となつたトキソイドが製造せられた当時病気欠勤中であつた事情等論旨に掲げる諸般の点を情状として参酌すれば被告人秋山静一に対しては相当期間禁錮刑の執行を猶予するを以て妥当の量刑と認められ原判決の科刑は重きに失する。次に被告人工藤についてみるに同人は本件製剤製造の直接の担当者であつてその過失の重大なことは多言を費すまでもなく明白であり、記録の示す諸般の事情に照し所論情状を参酌考慮してみても被告人工藤忠雄に対する原判決の量刑が重きに失し不当のものとは未だ認めることができず同人に対しては刑の執行猶予を与うべき情状あるものとは考えられない。最後に被告人田端についてみるに同人の過失は大阪日赤医薬学研究会の庶務係として本件製剤の検定出願販売等に際して生じたのであり、製造過程における第一次的の過失でなくそれに引続く第二次的の過失と認められることその他論旨掲記の諸点を情状として斟酌するときは被告人田端正純に対しては相当期間刑の執行を猶予するのを相当とし、原判決の量刑は重きに失するものというべきである。以上のとおりであつて、被告人秋山、同田端に関する各本論旨は理由があるが被告人工藤に関する本論旨は理由がない。

検察官の論旨について

被告人山口吉人に対する本件公訴事実の要旨は「被告人山口吉人は大阪薬学専門学校卒業後大阪府警察部衛生課に勤務し昭和二十二年四月頃大阪府技術吏員として細菌製剤地方監視員を命ぜられ同年八月細菌製剤監視係長となり管内各細菌製剤製造機関を巡視し且つこれを指導監督し細菌製剤の製品につき国家検定の出願があつて、これを国家検定に付する場合は地方長官の命により該製品の検定材料の採集及び封緘の責に任ずるものであるところ秋山静一外二名が大阪日赤医薬学研究会の主任技術者又は実務従事者としてジフテリア明ばんトキソイドを製造した際その製造番号第八号製剤は当初より便宜上五立入コルベン四個を使用して各別に製造されていることを知悉していた筈なるに拘らず四製造番号を付して各別に国家検定の出願をなさしめなかつたのみならず、コルベン四個の各製造単位別にその製造過程の監視を怠り、各別に国家検定用の予防液を抜取らず且つ製造所保管の作業記録を綿密に調査し監督上の指示を与えるべき業務上の注意を怠り、右第八号製品に関する作業記録を精査しなかつた為、無毒操作並びに無毒試験の欠陥を指摘し得ず昭和二十二年十二月三日前記研究会において一製造番号第八号製品二〇立の検定出願に基き検定試験品五本を抜取る際五立入コルベン四個を各別に使用して製造したものが同一製造番号の下に均一性質を有し且つ全部無毒試験を経たものとして取扱い得るや否やの根拠を確めず漫然これを一製造過程を経たものとして取扱つた為、第八号製品全部につき国家検定における無毒試験をなし得ない結果を招来して有毒ジフテリア予防液をも無毒ジフテリア予防液として存在せしめ、因て国家検定用に抜取られた試験品が偶々無毒であつた為、性質を異にしその一部にジフテリア毒素の残存するものを含む千個の小壜の製品全部が検定番号第一〇一三号として合格する結果となり、これを昭和二十三年十一月上旬京都市内小学校等において予防接種に用いしめたことにより一部小壜の製品に残存したジフテリア毒素の中毒により六百四名に異常副作用の傷害を加え、その中六十八名を死亡するに至らせた」というのであつて、これに対し原判決は同被告人が職務上必要な注意を怠つたと認めることができないと認定して無罪を言渡したのであるが検察官は右認定は事実誤認である旨主張する。よつて案ずるに記録に徴すれば当時細菌製剤地方監視員は昭和二二年三月二九日予発第一三八号を以て予防局長から各地方長官宛に通達された細菌製剤生産機関等監視員制度設置要領に基き職務を執行しており右要領には細菌製剤地方監視員の職務として(一)毎月一回以上各細菌製剤製造機関を巡視して之を指導監督し(1) 清潔状況(2) 建築物の管理状況(3) 製造施設の良否(4) 消毒施設の良否(5) 附属建物(倉庫厩舎、動物舎、物置等)(6) 氷室冷蔵庫等の良否(7) 効力検定室の状況(8) 製品貯蔵保管状況(9) 製造記録の整理(10)製造技術(11)その他を調査し予防局長宛毎月十日迄に到着するよう提出すること(二)細菌製剤を国家検定に付する際地方長官の命により指定材料を採集し製品に封緘すること等が定められている。そして原判決のこうように昭和二十二年四月十六日及び十七日厚生省において開かれた細菌製剤地方監視員の第一回講習会においては連合国総司令部係官ボーク博士、厚生省予防局検定課長小川朝吉から、又同年八月二十八日及び二十九日に厚生省において開かれた細菌製剤監視員主任者会議においては連合国最高司令部係官ハムリン博士及び右小川朝吉からそれぞれ監視員の任務につき所論の講述訓示のあつたことが明らかである。これ等によれば地方監視員の職務は単に製造機関の建物施設を監視するだけでなく製造過程も亦細菌製剤製造機関基準に合致するよう行われておるかどうかを監視することも理想であつたことは疑を容れない。しかし長友浪男に対する司法警察員の聴取書及びこれに添付している書類、小川朝吉に対する司法警察員の聴取書及びこれに添付している書類並びに同人の原審における証言、小島三郎に対する原審証人尋問調書、谷口腆二、井手正典、堀道紀の原審における各証言及び当審証人加藤英市、同井手正典の証言等の資料に就き当時の実情をみるに細菌製剤製造機関そのものにおいてはその製造に当る主任技術者は細菌学血清学について高度の学識と細菌製剤製造上の経験を有することを厳重に審査された上許可せられた権威者であり昭和二十二年二月下旬厚生省において開かれた細菌製剤主任技術者事務打合会に提出せられた細菌製剤製造機関基準にも主任技術者は原則として医師の資格を有し権威のある機関において細菌学及び血清学を専攻し且つ細菌製剤の製造及び検定に充分な経験を有する者でなければならないと定めているに対し他面地方監視員の資格としては昭和二二年三月二九日予発第一三八号によると(一)原則として医師である地方技官又は防疫医であるか、獣医師、薬剤師等でも特に適任者と認められるならば支障はない(二)細菌学血清学等を修め、なるべく細菌製剤製造上の経験を持つ者であること(三)都道府県営の細菌製剤機関に直接関係のない者であることと定め、大阪府のように全国中細菌製剤製造業者の最も多く存する地域において昭和二十二年四月細菌製剤監視制度を実施する際大阪薬学専門学校を卒業し薬剤師の免許を下付されている被告人山口吉人を細菌製剤地方監視員に選任し同年八月係長を命じたのは当時医師である地方技官又は防疫医を採用することができなかつたためであつたことが認められ、以上の諸点等を彼此対照して考えれば当時の実情としては被告人山口吉人の如き細菌製剤地方監視員が細菌製剤製造機関の主任技術者等のなす製造過程を一々にわたり技術上について指導監督するが如きは理想であるにせよ事実上これを期待することはできなかつたところであり、ただ製造機関を巡視した際製造記録を調べ或は係員に質問を発したり等して不審の点あらばその点を追求して指導監督すれば足り、製造過程に過誤なきことについては相当程度主任技術者乃至製造実務担当者等の学識経験手腕に信頼をよせ、誤ない製品と信じたればとて一概に監視の職務を怠つたものというべきでないと認めるのを相当とする。本件において被告人山口吉人は公訴事実にいう経歴を有する者であるにしても原判決認定の如き学識経験を有する秋山静一を主任技術者、工藤忠雄を製造実務担当者とする大阪日赤医薬学研究会におけるジフテリア予防液明ばんトキソイド製造の過程を技術上指導監督することは到底望み得ないところと解せられるのであり、しかも被告人山口吉人は右大阪日赤医薬学研究会におけるジフテリア予防液製造の監視につき細菌製剤地方監視員として職務上次のような措置を採つたことが証拠(原審証人小川朝吉の証言原審における被告人山口吉人、相被告人工藤忠雄、同田端正純の各供述、被告人山口吉人の司法警察員に対する第一、二回聴取書同人の検事に対する第一回聴取書、原審弁護人山本悦治提出に係る同被告人の細菌製剤と表題した手控等)上認められるのである。即ち被告人山口吉人は

(一)昭和二十二年八月二十八日、二十九日厚生省において開かれた監視員主任会議に出席し小分容器に分注する前単一容器に集注せられた製剤が一ロツト即ち一製造番号であることの説明を受け、なお検定課長小川朝吉から一製造番号の取扱上の便法として原液の過程において集注せられた同一原液を数壜に稀釈した場合には同一分注器を通じて分注すれば一製造番号とみなすことができることを教示せられたのでその後大阪日赤医薬学研究会を巡視した際に相被告人田端正純、工藤忠雄、秋山静一にその旨を伝達したこと。

(二)その後同年九月以降、右研究会において明ばんトキソイドを製造中同研究会を数回巡視しその製造過程中、培地、ジフテリア菌培養毒素の濾過、フオルマリンの注入、保温等の実状を視察し相被告人工藤忠雄に対し毒素の濾過について不備の点を指摘して注意を与え、分注の為撹拌器を設備することを命じ、なお一製造番号の単位を二〇立として五立入コルベンを使用して製造していたが二〇立入コルベンがないので、明ばんを加えて沈澱させた過程において単一容器に集注する操作を行うことを指示し、分注操作を視察するため、これを行うときに通知するよう申入をなしておること。(しかしその通知に接しなかつたため、この操作を視察することはできなかつた。)

(三)製品の抜取に際して相被告人工藤忠雄に対し無毒試験(自家検定)を行つたことにつき質し最終過程において完成した製品について行つている旨説明を聴いたこと、

等の措置に出たことが明らかである。又製造記録の点検については被告人山口吉人が同研究会においてその記録を調査しこれを見た際第一頁の第一製造番号にホルマリンの量を記入してあつたが第二頁即ち第二製造番号以下にはその量を記入してなかつたので注意したところ相被告人工藤忠雄から第二製造番号以下も同様であるとの説明を聴いたことが窺われるのであり、そしてその記載されたホルマリンの加入量が〇、五%であつたことは所論を検討し考究するも記録上強ち否定し去り得ないところであるから被告人山口吉人が本件製品についても適量なフオルマリンの量が注入せられ製造上過誤ないものと考えたとしても敢て同被告人にその職責を怠つた過失あるものとは未だなし難い。叙上の諸種の状況その他記録中の全資料に現われたところより考察すれば被告人山口吉人は本件トキソイドが五立入四個のコルベンにつき単一容器に集注する操作を省略して各別に製造せられた製剤で均一性質を有しないこと且つその製品全部につき無毒試験を経ていないことを知つていなかつたばかりでなく、それが同一製造番号の下に均一性質を有し且つ全部無毒試験を経たものとして取扱い抜取をなすことにつき細菌製剤地方監視員として当時期待されていたかぎりの、監視の職責はこれを全うしたものと解すべく本件ジフテリア予防液の実際の製造過程が過誤なく行われたことにつき相被告人秋山、工藤等の学識経験手腕を信頼したため、技術上の指導監督に出なかつたにしろ過失あるものというべきではない。殊に公訴事実にいう「五立入コルベン四個を各別に使用して製造したものが同一製造番号の下に均一性質を有し且つ無毒試験を経たものとして取扱い得る」という前提には、各コルベンに明ばんを加え明ばんがトキソイドを吸着して沈澱するのを待ち、上清液を捨てた際四個のコルベンの沈澱を一個のコルベンに集注した上これを四個のコルベンに分割注入して五立に達するまで緩衝食塩水を補う便法により小分容器に分注するか、将又四個のコルベンに明ばんが沈澱するのを待つて上清液を捨てて五立に達するまで緩衝食塩水を補つた後にこれを二〇立入以上の大型単一容器に集注して小分容器に分注するか、いずれかの操作を行う必要があるがこの操作は当時細菌製造業者の実験則上常識として行つておつたところに属するものと認められるから被告人山口吉人が上記の諸般の監視の職務を尽している以上、大阪日赤医薬学研究会において該操作に基き本件ジフテリア予防液明ばんトキソイドが製造されたと確信し、特にその操作がなされたかどうかを確めなかつたことを以て同被告人に軽卒な誤信があり、監視の職責を怠つた責があるとなすのは同人の注意義務の範囲を逸脱し首肯し難い論議といわざるを得ないのである。

これを要するに縷々の所論に鑑み記録を精査してみても被告人山口吉人に対し職務上必要な注意義務を怠つたと認定する証明がないとして無罪を言渡した原判決の判断には事実誤認の廉あるものとはなし得ないから論旨は理由がない。

よつて被告人工藤忠雄及び検察官の本件各控訴は刑事訴訟法第三百九十六条に従い、いずれもこれを棄却すべきものとし訴訟費用中当審証人浜野規矩雄に支給した分は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により被告人工藤忠雄の単独負担とし、被告人秋山静一、同田端正純に関しては同法第三百九十七条第三百八十一条に従い原判決を破棄し同法第四百条但書により更に次のように判決する。

被告人秋山静一、同田端正純に関し原判決挙示の証拠により原判示事実を認めこれを法律に照すと右両被告人の業務上過失傷害致死の点についてはそれぞれ刑法第二百十一条罰金等臨時措置法第二条第三条刑法第六条を適用の上各禁錮刑を選択しそれぞれ一個の行為が数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五十四条第一項前段第十条により重い業務上過失致死罪の刑に従い被告人田端正純を禁錮一年に処し、被告人秋山静一の薬事法違反の点については昭和二十三年法律第百九十七号の薬事法第七十二条によつて適用せられる旧薬事法(昭和十八年法律第四十八条)第四十条第四号、第二十六条第二項、第四十三条、罰金等臨時措置法第二条第四条、刑法第六条、昭和二十二年十一月二十九日厚生省令第三十二号生物学的製剤製造検定規則第十二条を適用しこれと前記業務上過失傷害致死罪とは刑法第四十五条前段の併合罪の関係にあるから同法第四十八条を適用し被告人秋山静一を禁錮二年及び罰金五百円に処し右被告人両名に対する禁錮刑の執行猶予につき各刑法第二十五条第一項を、被告人秋山静一の右罰金不完納の場合における換刑処分につき同法第十八条を、それぞれ適用し、右両被告人に関する訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第百八十一条第一項本文第百八十二条を適用処断する。

よつて主文のとおり判決をする。

(裁判長判事 吉田正雄 判事 山崎寅之助 判事 大西和夫)

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